柔道と合気道〜前編〜

武道と言えば、剣道と柔道の名がまず挙がるのではないでしょうか。戦前および戦中に京都で隆盛を誇った武道専門学校(通称、武専)で行われていたのは剣道と柔道ですし、現在の警察官採用試験で考慮される経験も剣道と柔道です。

一方、合気道はと言うと、マイナーな感が拭えないかも知れません。「合気道とはどういうものか」としばしば訊かれる事があります。

そこで二回に渡り、柔道と合気道の関係を通して、合気道の一側面を紹介できればと思います。

前編にあたる今回は、柔道と合気道の歴史に触れる事で、柔道と合気道の関わりを紹介したいと思います。

嘉納治五郎翁が創始した柔道の源流は「起倒流」と呼ばれる柔術です。

柔術とは剣術と対になるものです。剣術を表業(おもてわざ)とし、柔術は裏業(うらわざ)とされました。通常の戦闘形態では刀を交えて剣術を用いたわけですが、刀を失った場合などに対処する術がなければ命を落とします。生き残る術として必要とされたのが、刀を手にしない柔術です。柔術には当て身(打撃技)や投げ技、関節技、絞め技、といった技法があります。かつての剣術家は、裏業として柔術も修めていたとされます。

治五郎翁が修行した「起倒流」ですが、合気道開祖の植芝盛平翁も修行されていました。その後、盛平翁は武田惣角の「大東流合気柔術」に入門され、多大な影響を受け、合気道の創始に繋がりました。

武田惣角の「大東流合気柔術」は西郷頼母より授かった柔術です。幕末史に興味のある方であれば、その名を聞いたことがあるかと思います。2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」では西田敏行さんが演じられた、会津藩家老です。

治五郎翁の道場「講道館」の四天王の一人に、西郷四郎という人物がいました。「姿三四郎」のモデルとして知られています。実は四郎は頼母の養子なのですが、「大東流合気柔術」を修行していたとか、いないとか、説は定まっていないかと思います。

四郎の代表技と言えば「山嵐」です。多く言われているのは、逆襟(掴んでいる袖と同じ側の襟)を取って背負い投げをするように相手の懐に入り、跳ね腰といった技のように相手の足腰を片脚で跳ね上げる様に投げた、というものです。この技には常人離れした強靱な足腰が求められるため、四郎以外は遣うことができなかった幻の技と言われます。

さて、この「幻の技」ですが、もし再現したら、現代の柔道ルールでは反則技になるという説があります。その理由は「肘関節を極めた投げ」であった可能性があるからです。山嵐の原形は「四方投げ」とも言われています。

四方投げ」とは合気道の代表的な技であり、大東流合気柔術にもある技で、相手の肘と肩の関節を極める様に投げる技法です。

柔道創始者の治五郎翁と合気道開祖の盛平翁には交流がありました。治五郎翁は門下生を盛平翁の元へ送っています。合気道の技の影響を四郎が受けたとしても不思議はありません。

つれづれなるままに綴らせて頂きましたが、伝えたかったことは、柔道と合気道には縁があった、ということです。

それでは、柔道と合気道の違いは、と言いますと、後編に続きます。